教員を続けていると「生徒のためだから!」と言われると、「いやだ!」と言えないことも多々あるんですよね。

そんなの、あたりまえじゃないですか!

言うよね~!10年後も同じこと言えたら大したもんだ!
そう、わかってはいるんだけど…
大変だったことは山のようにありますが、とりあえず筆者からは1つご紹介するとして、たまには皆さんの体験談を聞くことにしましょう。
ということで、今回は教員の大変だった校務と皆さんの体験談と乗り越えた方法のまとめをご紹介していきます。
今回の記事はこんな方におすすめ
・ひよっこのみなさま
・大変だった体験談を共有したい方
教員ができればやりたくない仕事ランキングワースト5についてはこちらにありますのでぜひご覧になってください。
教員の大変だった校務(あひるの場合)


20代で進路指導主任をやらされたことですかね…
進路に関しては1回経験しただけでしたが、「とりあえず、やってくれ!」と言われ、押し付けられる形で進路指導主任になりました。
正直な話、教員の世界では仕事ができるとかできないとか関係なしにとりあえず年齢がある程度いっているというだけで説得力が出ることがあります。
その、もっともたるものが「進路」でしょう。

「進路」は親も一緒に成長するチャンスです!
とか、進路説明会で言わないといけないわけですよ。

おめーに言われたくねーわ!!!!
まあ、そりゃそうですよ、そうなりますよ。
2回に分けて開催される進路説明会は地獄でしたね。
さすがに、上記のようにはいうことができず…

「進路を経験して親として成長できた」とおっしゃっている卒業生の保護者の方もいらっしゃいました!
という風に、しましたけどね。
ただ、学年全員の進路が決まった瞬間はめちゃくちゃ達成感がありましたね。
進路1回目は自分のクラスのことだけで精いっぱいだったので、学年まで視野が広がったという点ではかなり良い経験となりました。
教員の大変だった校務(協力してくれた皆さんの場合)

高校・英語科 40代男性
今までで一番大変だった校務
一番大変だったのは不登校生徒の対応でした。
新学期が始まった頃は問題なかったのですが、学期の途中から理由がはっきりしない欠席が目立ち始め、だんだんと来なくなる日数が増えていきました。
毎日の電話や、ときには家庭訪問も行いましたが、電話しても出ない日が続くと、こちらの不安も大きくなります。
本人のケアももちろんのことながら、気をつかうのは保護者の方への対応でした。
我が子が不登校になってしまったことに対して、焦りの気持ちが強くなりがちで、それが余計に生徒を追い詰めることにもなるからです。
また、焦りや怒りのやり場がなく、その矛先がこちらに向かうこともあります。
私は受け止めることしかできませんが、精神的にしんどくなることもありました。
どのように乗り越えたか
まずはこちらが焦らないように気を付けました。
初めは、「不登校になったのは自分にも原因があるかもしれない。どうにかして学校に来るようにしなければ!」と思っていました。
でも、焦っても状況は好転しません。
それどころか、「こんなに頑張っているのに、どうして来てくれないんだ」と相手を否定してしまうときもあり、余計にしんどかったです。
無理に相手を変えようとするのではなく、ゆとりを持って接するようにしました。
次に、自分だけで抱え込まないで同学年の先生に、どんどん話をしました。
共有するだけでも、気持ちが楽になりしたし、自分とは違う視点で考えるヒントをもらえました。
いずれにしても、「不登校は悪いこと」という発想でとらえるのではなく、生徒といろいろな形で向き合うきっかけだと思い、じっくり取り組んでいきましょう。
中学・数学科 20代女性
今までで一番大変だった校務
毎日の質の高い授業を準備することです。
教員1年目は授業の内容や板書計画をはじめから自分で考えなければならなかったので、とても大変でした。
自分が担当するクラスによっては授業の進み方も少しずつずれてきたりしていたので、臨機応変に対応しなければなりません。
また、クラスによって複数の教員が授業を担当していたので、授業の進めるスピードを合わせたり成績の基準を統一させたりすることが大変でした。
どのように乗り越えたか
同じ教科担当の、経験があるベテランの教員に相談に乗ってもらいました。
授業の進め方や、どのように伝えたら生徒にわかりやすいかを話し合って授業に臨んでいました。
授業の進め方で困ったことがあれば、これまでの教材いついても教えて頂けたので助かりました。
生徒の目線に立って、視覚的に楽しい教材を用意するなどの工夫もしました。
小学校・全科 30代男性
今までで一番大変だった校務
教務主任が一番大変でした。
教務として学校の学習に関わる部分を全て管理することになりました。
学習指導計画や道徳の指導計画など、担当の先生に作成をしてもらいますが、その割り振りやチェックなどをしなければいけません。
校長の教育方針に従い、どんなことを現職教育で行うのか、運動会はどんな目的でするのか、計画から実行までが大変でした。
どのように乗り越えたか
多くの先生方のご協力によって乗り越えることができました。
できるだけ適材適所になるように仕事を割り振り、一部の先生の負担感にならないように配慮しました。
はじめての仕事であれば一緒に考えるなど、助言指導をしながらそれぞれの担当が活躍してくれたおかげて乗り越えました。
自分ができなかったところを管理職がサポートしてくれたのも大きいです。
高校・保健体育 30代男性
今までで一番大変だった校務
問題のある生徒たちの対応です。
喧嘩のもつれから、互いに退学させ合うような事態に発展してしまい、初動の確認でも詰めが甘かったため処分に不服な保護者からクレームの嵐でした。
当該生徒は授業は完全無視・怒号・椅子を並べて昼寝など収拾はつきませんでした。
期間は5ヶ月にも及び、不眠症や毎朝の吐き気など体調にも影響が出てきてしまいました。
どのように乗り越えたか
とにかく、生徒の話に耳を傾けるようにしました。
本人がしていたバイト先にお邪魔して、働きぶりを見にいったり、店長さんからの本人の様子をうかがったりもしました。
人を信じられないといって泣きながら家を飛び出していったときも、抱きつきながら静止し、本人のいいところを何度も伝えました。
本人は退学してしまいましたが、他の高校で卒業したことを報告してくれたときはうれしかったですね。
小学校・全科 20代男性
今までで一番大変だった校務
行事や普段の公務分掌もそうですが、新型コロナウイルスに対する対応が一番大変です。
保護者が「年の為に休ませます」という場合などが多くあり、それを入力していく・休みの子にメール等送信するなどなど確実に業務が増えました。
また、濃厚接触者が家族にいる・本人が濃厚接触者・コロナ陽性陰性などなどの内容によって対応の仕方も違ってくるために、現場はとても混乱しています。
人がただでさえ足りない状態なのにこれでは成り手もいないと思います。
どのように乗り越えたか
今現在乗り越えられてはいません。
むしろ日々対応する課題がどんどん増えていくので辛さが増していくだけです。
ましてや、いきなりオンラインで授業をしてくださいという通達もあり、正直に言って国や教育委員会は現場のことは一切わからない状態なんだと感じました。
これからもこういった業務はどんどん増えていくんだと思うと憂鬱です。
中学・社会科 20代男性
今までで一番大変だった校務
中学校3年生の入試関係の提出書類の作成がもっとも大変でした。
200人ぐらいの受験生の収支のスケジュール管理から、受験対策の日程設定をしなければなりません。
さらに関係する教職員への周知や協力などの根回しがほんとに大変で朝から深夜12時まで仕事が終わらずに帰れなかったこともありました。
あの時は学校をやめたいと何度も思いました。
どのように乗り越えたか
まずはこれまで経験のある先輩にどうやって処理していいのかアドバイスをこちらから聞きに行きました。
合わせて過去に書類を作成する際に効率的に回るようなExcelシートをいただいたり、過去にどのような校内文書を作ったのかを見せていただいたりしました。
合わせて仲の良い教員に手伝ってもらったりすることで無事に入試を乗り越えることができました。
教員の大変だった校務のまとめ
以上で、教員の大変だった校務と皆さんの体験談と乗り越えた方法をご紹介してきましたがいかがだったでしょうか。

なんか、一人で抱え込まないってのがいっぱいありましたね!

そう、一人でできることなんて限られている!どんどん頼っていこう!
今、大変な思いをしている方も多いかもしれませんが、一人ですべてを解決しようとしてはいけません。
自分の心と体の健康を大事にして校務に取り組んで下さい!

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